早いもので、もう今年も最後の月となってしまいました。
いろいろあった一年ですが、個人的には最初に勤めた会社、某大手航空会社が倒産したことがとてもショッキングな年でした。
最近、実家に帰った折、父親から残念な話を聞きました。その航空会社で長年機長を務めていた人が退職勧告を受け、定年前に会社を去ることになったそうです。
父親は以前やはりその航空会社でパイロットをしており、その機長の教官だったこともあり、挨拶がてら近況を伝えにいらしたとのことでした。私も以前、何度かお会いしたことがありましたが、機長としてプロ意識が高く、たいへん立派な方でした。普通の大学を卒業した後、自社養成のパイロット候補生として入社し、勉強を続け、最も大きい旅客機の機長を20年以上務めあげた後、突然の退職勧告を受けたのです。
一昔前まで、航空会社は飛行機を資産と考え、大型旅客機を購入し長く大切に使うことが一般的でした。
しかし、技術の進歩と航空需要の拡大にともなう旅客ニーズの多様化により、大量輸送の必要性が漸減すると、旅客機の主役は、新しい=燃費が良い小型旅客機に切り替わり始めました。最新の小型低燃費旅客機を購入したりリースしたりして、できるだけ燃料代を浮かし、時代遅れになるとすぐに売却してしまう。大手航空会社は競争力を高めるため、旅客機をもう資産として扱えなくなってきたのです。
パイロットは、乗務するためにいくつもの免許が必要なのですが、飛行機の種類が変わると、機種免許を取り直さなければならない。手持ちの免許で飛べる機体が少なくなれば、仕事は失われていくのです。父親は当然、同情的でした。会社の方針にまっすぐに従い、まじめに仕事を続けてきた人間に対する仕打ちとしてはあまりにもひどいと思っているようです。私もそう思います。
しかし、会社の経営責任の問題はさておいて、そこにこそ、企業の経営者や社員が抱える大きな問題点が潜んでいるとも考えました。よく言われる思考停止状態の問題です。父親やその機長のように、会社の方針に従いまっすぐまじめに、という部分に大きな危険が潜んでいるような気がするのです。
時代が変わる、市場が変わる、人間が日々互いに影響し合い変化していくことによって、職場を取り巻く環境も絶えず変化しています。その変化を意識しながら目標を立て、それを達成していくことが全ての仕事の基本ならば、目標達成のために採るべき手段も、その時々によって変化していくはずです。例えは悪いですが、戦争に勝つことが目標ならば、いつまでも刀一本で戦っていて良いわけがありません。もし会社の方針と手段の有効性に疑問を感じたのであれば、その疑問を感じた本人が、より適切な手段を用いるべきことを主張することが最も理に叶っていると思うのですが、そのためには見たくない現実を見つめ、考えるのも面倒な複雑な問題に目を向けて、状況分析と対応策を考え続けなければならなくなります。
失礼ながら、父親も機長も、いちパイロットとしては有能だったかもしれませんが、果たしてそういう努力をしてきたかどうか。航空需要がどのように変化し、対応するためにはどのような手段を講じ準備をしなければならないか。そして今、自分たちの仕事をどう変化させていくべきか。そういうことを考えるのは自分たちではなく、そういう部署のそういう適正を持った人たちがやればいい。そんなふうに割り切り、その部分に関する思考を停止してしまったのではないでしょうか。時代が時代ならばそれで良かったのでしょうが、その時代が変化した故に、その機長は職を失うことになってしまった事実は否定しようがありません。
竹を割ったような性格、一本気な性格、白黒はっきりつけたい、不器用な人間ですから(笑)、日本人はそういうわかりやすく、二面性のない性質が大好きですが、それは、逆に見れば、なかなか解決しない、もしくは答えのない問題に忍耐強く取り組む性質を持ち合わせないからではないかと思うときがあります。自分がそうだから、そういう性質が強い人を見ると安心するのではないでしょうか。物事を中途半端な状態にしておくことが気持ち悪くて仕方ないので、すぐに結論を出してしまうか、そもそも最初から取り組まないか、少なくても、中途半端を中途半端なままでヨシとする考えは少ないように思えます。
議会制民主主義発祥地の英国では、貴族は幼少の頃から学校で、決して解決しない問題と忍耐強く取り組む訓練を行うと読んだことがあります。わかりやすい解決をすぐには得られなくても、現実社会の諸々の矛盾をありのまま受け止め、逃げずに真摯に取り組む姿勢を身につけるためにそうするらしいですが、確かに議会制民主主義こそ、永遠に解決しない人間心理の矛盾の上に成立している制度そのものですよね。さすが老舗は違うなと思います。
翻って日本では、どうせ解決しないのだからやるだけ無駄、考えるだけ損、と、すぐに取り組みを放棄してしまうのがむしろ美徳とされているように感じます。
また例に出して申し訳ないのですが、「自分はただの飛行機乗りだ。経営の問題は経営者に任せるから、自分は離陸してから着陸するまでの乗務にだけ責任を持とう」という姿勢がもしあったとすれば、それはもしかしたら、面倒な問題に自ら取り組むことをせず、もっとも得意でもっともわかりやすい部分だけに自分の責任を限定するための思考停止状態を正当化しているだけなのかもしれないと疑う必要はないのでしょうか。
どこの業界もどこの産業も成熟すればするほど、仕事の流れは多様化します。定期的に多様化した仕事を評価し、それぞれの役割を定義し、そこに最適なスキルを持った社員をあてがうことによって分業化は初めて有効に機能するようになります。しかし、もし分業化された部分が、自分たちの責任はこれだけだからと、無理矢理仕事を区切り、範囲を広げようとせず、思考停止状態を決め込んだら。その部分だけは独立し、仕事の流れから遮断されることになってしまいます。
それはすなわち、本来、目標を達成するための手段としての分業化であったものが、一瞬にして小さく分断された目標そのものになってしまうことを意味します。戦争に勝つことが目的ではなくなり、「刀をじょうずに使って戦うこと」もしくは「そういうかっこいい自分を見せること」が目的になってくるわけです。かくして、手段の目的化=思考停止を維持するシステムができあがってしまうと推察します。
あたりまえですが、私自身の回りにも、直視したくない現実や、考えるだけで気が重くなるような「予見できる未来」の姿がたくさんあります。白黒はっきりつけるから!と言って、適当に決断して解放されたい問題が山積みです。しかし、自由主義社会の現実とは常にそういうものなのでしょう、解決したくても解決できない問題が次々に降りかかってくる。であれば、一つ一つ丁寧に対処し、解決を急がず、いつもその時々の最良の方法をもって対応していかなければならないとアタマでは考えます。
ものすごく気が重い話ですが、ストレスと上手に付き合いながら、なるべく思考停止状態に陥らないように、解決できる問題はなるべく早く、そうでない問題はゆっくり時間をかけて丁寧に。決して手を抜かず、目的と手段の逆転に注意しながら、一歩ずつ前進させていなかければならない…、というのが優等生的な答えだとわかっていても、それがいったいどれだけの精神力を要することか。理屈で考えてそういう結論を思いつくだけで両肩にバーベルが乗ったような気分になってきます。
まじめ一辺倒に働いてきた人が突然仕事をなくす。最近よく聞く話ですが、いくら会社が悪い冷たいと嘆いたところで仕事を失う事実は変わりません。そういう悲劇をなるべく回避するためには、経営者も社員も常日頃から思考停止状態を避ける努力を払う必要があります。元来、心理的な負荷が持続する状態に慣れていない日本人にとって、それがいかにストレスフルなことであったとしても。他の会社の人からは教訓として学ぶことができますが、もし自分の会社に、方針に従いまじめにがんばったのに報われなかったという社員の人がひとりでもいたら、それは会社がひどい!などと言っていられないですから(笑)
We Fight the Blues!
宇多田ヒカルさんの歌詞ですが、「答えはメンタルタフネス!」だそうです。ぜひあやかりたいものです。
みなさま良いお年を。
代表取締役社長 大場 剛